禪養寺案内 禪養寺の由来 慈覚大師により貞観2年(西暦860年)に開祖された当寺は、比叡山の坂本にならい山王七社を祭り、七堂伽藍を建立し天下泰平、寶祚無窮(ほうそむきゅう)の祈願所として日吉山寂光院禪養寺と号す。之により前橋の南通り、旧二十一ケ村を禪養寺領とし、寺領七千石を賜る【水帳による】その後寺運衰退あり。高倉天皇の時(西暦1169年)聖躬安全(せいきゅうあんぜん)のため詔勅がおり、源頼朝からの寄進により再興した。天文年間に北条・上杉の戦いによる戦火で山王宮社堂塔伽藍、宝物記録等を消失する。開基から弘治年間に至るまでの住職全て不明となる。永禄年間、比叡山より瞬慶法印が下向し、現今の山王宮社と堂宇とを再建し中興となった。慶安年間には徳川家光公より五十四石の御朱印を賜り、寺の景観は全く復旧した。天明、天保13年の火災で本堂、庫裏等を消失したが、第14世、第15世住職による懸命な勧募の結果、文久2年(西暦1862年)現今の本堂を再建、その後荘厳が成った。 慈覚大師 円仁(西暦794年〜864年)第三世天台座主慈覚大師とは没後に朝廷より賜った諡号(おくりな)で俗名は円仁です。西暦794年、現在の栃木県に生まれ、9歳で出家、15歳で比叡山に登り天台宗の宗祖最澄の弟子と成りました。最後の遣唐僧として唐に渡り、西暦847年帰国後は天台宗の教えを広めるため全国に寺院んを開いたと言われます。西暦854年に61歳の時に延暦寺三代座主に迎えられ、864年に71歳で没しました。その2年後の西暦866年僧侶として初めて大師号・慈覚大師の諡号が授けられました。 平和を願う円仁像 当寺開基、慈覚大師円仁の西暦1150年御遠忌にあたる2013年、安置されている円仁像を世界平和の願いを込めて修復しました。